生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

ザルと水 土光敏夫の毎朝の読経と座右の銘「日に新たに、日々新たなり」

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1.人生は、感動と忘却、そしてまた感動と忘却の繰り返し

誰しも、今まで生きてきたなかで、一度といわず二度、三度、心の底から感動し、それを自分の身につけたいと思ったことがあるのではないでしょうか。

例えば、A君は、「感謝する」ことが人生でどれほど大切かということを真底教えられたことがあったとします。

A君は感謝することの大切さを真底理解し、心に刻みます。よし、この言葉を忘れないで、これからの人生を生きていくぞ、と決意します。

当分の間は、A君は、その思いを続けることでしょう。しかし、時間が経つとどうでしょうか。あれほど感動したというのに、感謝の大切さを知った当時の高ぶった感情は色褪せてきます。そうすると感謝する心は忘れられていきます。

元の木阿弥です。振り出しに戻ります。

あの新鮮な気持ちはどこにいったのか。これからは感謝、感謝だと強く自分に言いきかせてきたのにです。

感動し、忘れる。そしてまた感動し、忘れる。

人はこれを繰り返して人生を過ごしていきます。これは誰にも当てはまることではないでしょうか。せっかく感動したのに、もったいないことですが、殆んどの人が身についていないと思います。

 

2.「ザルと水」の話。ザルに水を入れても水は少しもたまりません。

上の消息は「ザルと水」で考えるとよく理解できます。ザルを人間、水を感謝とします。

せっかくの感謝という水も、ザルの上からかければ一時のほんの少しだけザルにひっかかりますが、すぐにザルの網目の隙間を通ってザルの外にこぼれ落ちてしまいます。ザルに一時は水がひっかかりますが、いつまでもとどまりません。水はザルからこぼれ落ち、ザルは空っぽになってしまいます。

ザルという人間は、感謝という水を、長い間、自分の中にとどめることができません。

ザルは空っぽのままですと、しばらくするとまた水が欲しくなります。そこで、また水をザルのうえからかけます。そうすると水はザルに一時はとどまりますが、それもつかの間でまた網目の隙間からこぼれ落ちてしまいます。ザルに水は少しもたまりません。

 

3.ザルに水を入れるのではなく、水に浸しておく

しかし、ザルの上から水をかけるのではなく、ザルを水の中に浸しておけばどうでしょうか。この場合は、ザルはつねに水にふれています。感謝という水がつねに存在し、感謝の気持ちを忘れることはありません。

そうです。感謝の気持ちを忘れないでいるためには、ザルを水に浸しておけばよいのです。

 

4.ザルを水に浸しておくにはどうしたらよいか。

それではザルをつねに水に浸しておくためにはどうしたらよいのでしょうか。

それには、四六時中、感謝、感謝と、自分に言いきかせればよいということになります。つねに自分の身にまとわりつかせればよいということになります。そうすればザルをつねに水に浸すということになります。

このように考えると、毎日、毎日、感謝、感謝と唱えれば、感謝という水につねに浸っていることになりはしまいか、と思うのです。

朝に昼に夜に感謝を唱え続ければザルは水の中に浸ったままにおかれるでしょう。少なくとも毎朝欠かさずに、感謝を唱えれば、ザルの中の水は切れないでいることになりはしまいか、そう思うのです。

 

5.土光敏夫 座右の銘「日に新たに、日々新たなり」と毎朝の読経

以上のことを考えると、私は、土光敏夫を思い起こします。

土光敏夫は、石川島播磨重工業の経営危機に臨み、徹底した経営合理化を行って会社再建を果し、さらにやはり経営難に陥った東芝の再建に辣腕を振るって成功をおさめます。そして経団連の会長に就任し、2期6年にわたって財界総理として第一次石油ショック後の日本経済の安定化に尽力します。また臨時行政改革推進審議会の会長を務め、「臨調の土光」の名を世に轟かせます。

経営の辣腕振りを称して、「ミスター合理化」、「荒法師」と言われていますが、生活はすこぶる質素で、「メザシの土光さん」は有名です。石川島、東芝経団連の重役となっても、社用車を使わず、JR鶴見駅まで歩き、電車に乗って会社へ通っています。

ソニー創業者井深大は「今の日本で最も尊敬できる人物は誰かと聞かれれば、無条件に土光さんと答える」と述べています。

土光の座右の銘は「日に新たに、日々新たなり」です。

「今日なら今日という日は、天地開闢以来はじめて訪れた日である。それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。そのためには、今日の行いは昨日より新しくなり、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修行に心がけるべきである」という意味。

中国・商時代の湯王が言い出した言葉で、湯王は、これを顔を洗う盤に彫り付け、毎朝、自戒したという。

土光敏夫私の履歴書」「経営の行動指針」

土光は、毎朝、4時半に起き読経を唱えて7時に出社しています。

毎朝4時半の読経は、ザルを水に浸す役割があったのではないでしょうか。

毎朝の読経で「日に新たに、日々新たなり」を片時も忘れることがなかったのではないでしょうか。

ウォーキングは継続していますか。私は4年続いていますが不思議?その理由は?

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1.毎日、事務所通い

私は、現在、70才半ばですが、職業は自営業で、毎日、自宅から事務所まで電車通勤しています。

自宅から最寄駅までは歩いて行きます。所要時間は約24分です。そして電車に乗り3つ目の駅で降ります。そして降車駅から約5分ほど歩くと事務所に着きます。

土日は休みで、平日は雨の日を除いて、最寄駅までは歩いて行っています。帰りはバスを使っています。

 

2.24分のウォーキングが4年続くのが不思議

どうせ三日坊主と思って始めたウォーキングですが、かれこれ4年も続いています。

不思議といえば不思議です。一体全体、どうなっているんだ、と思います。

自分でも、こんなに続く理由が解らないのです。

不思議と4年も続いているのには何か理由があるかもしれません、それが解れば、ウォーキング以外のことで継続したいことがあれば、役立てられるかもしれません。

一考の価値がありそうです。

 

3.継続する理由・ウォーキングが通勤の一コマになっている。

24分歩くとなると、2キロ程度の距離ですが、それは結構な距離です。考えてもウンザリします。

しかし、通勤の中に組み込まれているとなると、事情は多少違ってくるのではないかと思います。通勤は毎日のことです。通勤はどうしてもするのですから、通勤すること自体別に決断する必要はありません。ただし通勤の一コマとしてバスではなくウォーキングを決断する必要はあります。

これに対し、例えば、いざ、自宅の周囲を毎日ウォーキングをしようとすると、これは、通勤の一コマと違います。毎日の必要な行動に組み込まれていないので、毎日の生活パターンと異なる行動を決断しなければなりません。これが意外と重い。そしてさらにウォーキングするという決断をしますから、ハードルが二つあることになります。通勤の中のウォーキングとの差異は、案外大きいのかもしれません。

もし、通勤するうえで、最寄駅まで歩く時間が24分ではなく5分だとすると、誰しもが容易にウォーキングを継続します。徒歩5分は楽勝です。10分でも容易でしょう。それなら15分は、20分は、25分は、30分は、となると、私の場合は、24分でも意外と容易だという範疇に入っているのかもしれません。片道ということもありますし。

どういうわけかわかりませんが、朝歩くのが苦になりません。

そういえば、私に朝の通勤時間にウォーキングしていることを教えてくれた友人は、いまもウォーキングを続けているということです。(参照:当ブログ「カテゴリー・健康」健康と通勤 ウォーキングと三日坊主 正しい歩き方と正しい歩数 2017.12.12

理屈はどうあれ、通勤の中にウォーキングを組み込むと、ウォーキングは継続するのかもしれません。

 

4.継続する理由・適度な運動は適切な食事とともに健康に欠かせないという強い信念

健康は心・食事・運動。

このうち、私にとって運動不足は明白でしたので、長い間気になっていました。食事は決して十分ではありませんが、多少、気を配っていました。しかし運動は全く何もしていませんでした。

健康に運動は欠かせません。

そしてその解決方法には歩くことが一番良いと考えていました。人間にとって歩くことは無理のない、もっとも自然な行為だと思うからです。

健康には運動が欠かせないという思いが強ければ強いほど、ウォーキングを継続させる原動力になっていることは間違いないと思っています。

 

5.継続への挑戦

私は、今からでも継続したいことが沢山あります。そのうち、一つでも二つでも実践できれば良いと思っています。そういう思いで、私自身がかれこれ4年続けているウォーキングについて、何故続けられているかを考えてみました。

それは、第一に強い信念、第二に生活の中の一コマに組み込むということでした。

ところで、ウォーキング以外で私が継続しているものとしては、「健康のための食」があります。1.遠藤青汁を毎日飲む、2.少食に徹する、3.牛肉、豚肉は原則として食べない、の三つです。

「健康のための食」は以上の三つのほか、果物野菜を多く食べるなど多くのことがありますが、私が継続して実践できているのは以上の三つであり、これらはいずれも25年以上続けています。(参照:当ブログ「カテゴリー・健康」健康と食事その5 青汁、肉少食、小食、よく噛む-私の実践法 2017.11.24) 

この三つについて、いずれも私にとって健康に良いという強い信念があります。そして、私はいずれも日々の食生活の中に組み込んでいます。

私は、食や運動を健康に即するよう充実させるとともに、健康にとって欠かせない心の鍛錬も是非にでも実践したいと考えております。しかし今まで何度か挑戦しましたが継続にはほど遠いというところです。

しかし、このブログ記事を掲載する機会に、ウォーキングと遠藤青汁等とともに、私にピッタリの心の鍛錬を見つけ、強い信念をもち、日常の生活に組み込むことで、継続させようと思います。

嫌いな上司を蹴飛ばしたいサラリーマンへ、嫌いのままでは部署替えだぞ。

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 1.嫌いな人でも好きになる。それは出来ない。出来る。

私達のなかで、嫌いな人でも自分が努力して好きになることを実践する人は恐らく皆無に近いでしょう。

理由は明白です。理屈ではありません。嫌いなものは嫌いだからです。克己心よりも情が勝るのです。

しかし、困難なことですが、嫌いな人を好きになったら世界がどんどん広がっていきそうです。人間関係が見違えるほど広がる、そう思うのです。

ところで、人はどんな人でもです、あんな悪いやつと思う人でさえも、不思議と思えるくらい、私達が学ぶべき長所をどこかに持ち合わせており、教えられるものを何かしら持っているといえます。

すべての人が、師匠という顔を持っているといってよいでしょう。この点は私達は見落としがちになりますが、そう思って人と接触すると、なるほどと解ってもらえるはずです。

私達は、私達の嫌いな人でも、どこかに長所を持ち、それは私達が学びたいところであり、その長所をしっかり見れば、嫌いな人も好きになってくる道が開けてくる、違うでしょうか。

 

2.ゴマスリ上司にも学ぶべきものがあった。

私が30代で、当時サラリーマンをしていた時のことですが、Sという上司がいました。私はSと馬が合いませんでした。これは同僚のAから聞いたことですが、ある日、SとAと2人の上司であるTと3人がJR某駅の階段を昇ろうとしたときのことです。

突然Sが勢いよく走って階段を昇っていったそうです。Aは何事かと思っていると、Sは階段を昇ったところでJR某駅から東京駅までの切符をもって2人を待ち、顔に滴る汗を拭きながら、上司のTに切符を渡したそうです。

後日、SがAに言ったこと、「出世するのには上司のご機嫌とりが必要不可欠、それをしないサラリーマンは馬鹿だよ。」私は上司へのゴマスリを厭わないSが嫌いでした。

しかし、私はSと長く付き合っていくうちに、彼の長所をいくつか見るようになりました。その一つに、彼は自分を慕う部下の面倒見がとてもよかったことがあります。

私は、案の定、Sによって部署替えをさせられましたが、今、思えば、Sの長所を見抜いて、Sを好きにならないまでも、苦手意識はもたないことができたのではないか、と思っています。

人間は誰しもが師匠という顔を持っています。

彼から学ぼうとするほうが、彼を嫌って敬遠するより、よほど高等な生き方に違いない、と思うのです。 

緊急事態宣言の解除は「遠泳で溺れるのは浅瀬」を連想せよ!

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緊急事態宣言の解除 

新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和3年1月8日~2月7日の1ヶ月間、緊急事態措置が実施されています。

そして、今、緊急事態宣言解除について、いくつかの議論がなされています。

分科会尾身会長は個人的意見として解除について3つの条件を出されています。(2021.1.22)。

  1. 感染状況がステージ3まで下がること
  2. ステージ3になったからすぐに解除というのではなく、感染状況と医療のひっ迫状況の改善が継続している動きがあること
  3. 解除後もステージ2まで下げられるという見通しがある程度つくこと 

 

また、尾身会長は国会答弁で次のように発言されています。(2021.1.27(水))

緊急事態宣言を出したことの効果がおそらく今週の末、あるいは来週の初めにわかると思う。緊急事態宣言解除の方法、時期等にわたしは重要な影響を及ぼすと思っている。

 

政府発表予定(2021.2.2(火))

政府は、本日2月2日夕方に、栃木県を除く10都府県で、緊急事態宣言解除を3月7日まで延長する決定を発表する。なお、感染状況などが改善した場合は、期限の前でも解除する方針。

新規感染者数は減少傾向が続いているが、医療提供体制のひっ迫は改善の兆しがみられないとして、解除を延長。

 

日本経済研究センターの解除の影響予測(2021.2.2(火) 日本経済新聞記事)

政府が目安とする「ステージ3」で解除すると、目先の経済の落ち込みは小さいが夏に再宣言に追い込まれて経済が失速しかねない。「ステージ2」の水準まで感染者を抑えてから解除する、感染者が少なくなっていることから、夏に宣言の再発令に至るほどの感染拡大は招かない、夏から秋にかけて経済の回復軌道を維持できる。

 

緊急事態宣言の解除と「遠泳で溺れるのは浅瀬」について

緊急事態宣言を出すことも難しいのですが、緊急事態宣言の解除についてその方法、時期等を判断するのはさらに難しいことだと思っています。その判断が誤れば感染は再燃しかねないからです。

私は、緊急事態宣言の解除の方法や時期等を判断するとき、「遠泳で溺れるのは浅瀬」ということを念頭に入れるべきだと考えます。

「-遠泳のことである。子供たちがやるときは大てい多勢集団で列を作って泳ぐ。向う岸までかなりの距離を泳ぐわけである。海の中で波にゆられ、時には水を飲んで泳ぐ。だんだん疲れてくる。向う岸へ近づく頃はくたくたである。砂浜の人影が見え、波打ち際が見えると、やれやれと思う。ところがそれから先が大切なのだ。もう多分足が立つだろうと思って安心して立とうとするとえらいことになる。足は立たない。すぶりと沈む。水をのむ。あばれる。また水をのむ、溺れるということになる。こういう時の鉄則がある。ヒザが底の砂につくまでゆるまずに泳げということである。」 (参照:当ブログ「慎重を期する」は 遠泳で溺れるのは浅瀬を連想する(2016.9.22)

 ヒザが底の砂につくまでゆるまずに泳げという鉄則が当てはまるのはいずれの段階なのであろうか。ステージ3かステージ3でもステージ2まで下げられるという見通しがある程度つく段階か、それともステージ2か。

GoToトラベルキャンペーン(2020年7月22日~2021年2月1日)は時期を早まったのではないでしょうか。

感染がおさまってきた。感染対策をしっかりしておけば問題ない。  GoToトラベルで全国の観光産業の元気を取り戻そう、経済重視を進めていこう、というのであったのでしょう。

しかし、ヒザが底の砂につくことを確認しないでGoToトラベルをスタートしてしまったのです。早まったのです。

遠泳が溺れないための鉄則、「ヒザが底の砂につくまでゆるまずに泳げ」を肝に銘じて、緊急事態宣言の解除を行うことがきわめて大切なことだと考えます。

そしてもし解除が早まったら、即座に緊急事態宣言の時点に引き返す。ヒザが底の砂につくまでを実践することにやぶさかであってはならないと思うのです。

 

4ステージと6指標 

4ステージ

  • ステージ1  感染者の散発的発生
  • ステージ2  感染者の漸増
  • ステージ3  感染者の急増
  • ステージ4  爆発的な感染拡大 

 

6指標 47都道府県のコロナ感染6指標でみる感染状況(日本経済新聞 2021.2.2更新) 

【 2020.1.28時点 】

 

1週間の新規感染者数

感染者数の前週比

コロナ患者用病床の使用率

療養者数

陽性率

経路不明者の割合

ステージ3

15人以上

1倍以上

20%以上

15人以上

10%以上

50%以上

ステージ4

25人以上

50%以上

25人以上

東京都

53人

0.69倍

72%

116人

8.4%

56%

神奈川県

39人

0.61倍

48%

44人

13.5%

55%

埼玉県

29人

0.69倍

65%

63人

5.7%

49%

千葉県

41人

0.81倍

59%

85人

10.8%

73%

内閣官房の資料に基づき作成。病床使用者数は感染ピーク時に確保を想定する病床数に対する使用率。療養者数と新規感染者数は人口10万人あたり。

 

ステージ3では1週間あたりの感染者数が10万人あたり25人を下回ることが目安となり、東京では1日あたり500人を下回る水準となる。

真似てみた頭振り もしかして人生の宝かも

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1.学業優秀なKさんの話し 

私は田舎の高校に通学していました。この高校は県庁所在地にあり、県内各地から生徒が集まっていました。そのため優秀な生徒が集まっていましたが、それでも都会と比べるとずいぶん少なかったと思います。

その中で、私より10才くらい上の先輩に、Kさんという、飛び抜けて優秀な生徒がいました。

Kさんの大学向け校内試験の成績は抜群で、ほかの生徒とは比べようもなかったということでした。Kさんは東大に進学し、東大の学生時代のときは、すでにある分野で、教授に一目置かれた存在であったということでした。

そのKさんにまつわるつぎのような話しがあります。

高校での数学の授業で、Kさんは突然手をあげ、先生が黒板で示した解析方法とは全く別の解析方法を提示することがあったそうです。

思いもつかない解析方法に先生は驚愕するばかりだったそうです。Kさんは頭をナナメウエに回転させます。そしてやおら手をあげ立ち上がって黒板に向ったそうです。

この話しは、東大に進学した私の8才上の兄から聞かされました。

 

2.大学でのゼミで頭振りをした結果は 

私は大学で民事訴訟法のゼミに入りました。ゼミのI先生は、大変優秀な先生で、学界では、トップクラスであり、若手をキリキリマイさせたという評判の先生でした。

熱意のある人は入ゼミを拒まないという先生の方針があり、私が入ゼミした年は学生が20数人と大所帯でした。

ゼミでは、民事訴訟法の条文を学生、1人、1人に読ませ、その条文について先生が条文を読んだ生徒各自に質問される形式がとられました。

ある日、いつものとおり、学生が条文を読み先生が質問をされました。条文を読んだ学生は返答に窮していました。

しばらく時間が経ちました。

時間が経った後、私は手をあげて、こういう風に考えてよいのではないか、と発言しました。先生は頷かれ、私もそのように考えてよいと思うと言われました。

Iゼミは緊張感で張りつめていました。私はいつも六法全書とメモを用意してゼミにのぞんでいました。

私は兄の言ったことを思い出して、優秀なKさんの真似をして頭をナナメウエに振ってみました。

理屈は全く解りませんが、一つの答えが出てきましたので、それをメモに書き、それを発表しました。

こういう風に考えれば、当事者Aも当事者Bも双方が納得できる。そのように答えたことを記憶しています。

私が頭を振ってみたのは、この1回のみですが、高校の優秀な先輩の仕草が、問題を解き明かすのに役立ったと、今でも確信しています。