生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

認知症治療薬を生んだ最大の要因? それは母への思い! 逆転人生のあらすじと感想

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薬のノーベル賞 杉本八郎さんの「逆転人生」がテレビ放映

本年(令和元年)7月29日、NHKテレビの「逆転人生」で、薬のノーベル賞といわれる英国ガリアン賞を受賞した杉本八郎さんのことが放映された。

杉本八郎さんが開発したのは、認知症の中で67.6%を占めるアルツハイマー認知症の進行を遅らせる「アリセプト」という治療薬である。

テレビでは杉本八郎さん自身が登場し、18才で工業高校を卒業して、製薬会社(エーザイ)に就職され、それから長い紆余曲折を経て新薬を開発されるに至るまでの経緯が描かれている。そして現在は、アルツハイマー認知症の根治薬の開発を目指されているということで結ばれている。

私はテレビに釘づけになった。

紆余曲折がドキュメンタリータッチで描かれているので、ついつい画面に引き込まれてしまった。

その中で

杉本八郎さんの母が認知症になり、それなら自分で認知症の薬を作ろうと決心したこと。

会社のニ度にわたる開発中止命令に屈せず、ついに開発まで漕ぎつけたこと。

開発チームのリーダーとして、チーム部員の自主性に委ねる方針を打ち立てこの方針を貫いたこと。

成功の原因は何かと問われれば根拠のない自信。ロジックではなくパッションだと言い切られること。

剣道7段。ダジャレ大好きであったこと。

76才だが、現在も治療薬(アルツハイマー認知症の根治治療薬)の開発を続けている。76才でも夢実現に向けて現役であること。

 

工業高校卒業後、製薬会社に就職

杉本八郎さんは18才のとき(1961年)、工業高校を卒業後、当時小さかった製薬会社に就職し、薬を開発する部署に配属された。高校程度の知識では、化学式も薬品のこともわからず、彼は会社のお荷物社員でしかなかった。定時で退社し、退社後は会社の屋上で剣道をやり、仕事2割、剣道8割の「給料泥棒」であったと自戒。

 

夜間大学に通いながら仕事に没頭 母の認知症発症

ところがそれから15年後、33才のとき(1976年)、彼は打ってかわって仕事づけの日々を過す。自腹で夜間大学に通い、専門知識を習得する。のめり込んでいったのは認知症の治療薬である。

実は、母が血管性認知症になっていたのである。

忘れられない出来事がおこった。

彼がある日、果物を買ってきたよ、と母にもっていくと、母が、

「あんたさんは誰ですか」

「僕は八郎ですよ」

「私にも八郎という息子がいるんですよ」

「あんたと同じ名前ですね」

彼は涙が止まらなかった。

彼は母親っ子で、彼はいつも母のそばにいた。ショックであった。 

当時は認知症の薬なんか無い。じゃあ、せっかく製薬会社の研究所にいるのなら、自分で認知症の薬を作ろうと決心する。

彼はひたすら薬づけの基本である合成という作業を繰り返した。複数の物質を混ぜ合わせ血管に作用する新しい化合物をつくる、いわば薬の種をつくる作業である。

見込みのありそうなものは、マウスなどの小動物に投与して効果を確認、さらに精度の高いデータを得るため、猿に投与する。猿の実験は大学に協力してもらう。片道3時間、毎週新しい化合物をもって大学に通い続けた。

そして2年後、認知症の悪化で身体を弱らせていた母が、風邪をこじらせて亡くなった。9人の子供をかかえながら朝から晩まで働きづくめで、ようやくおだやかな日々を過せるようになった矢先のことである。認知症という病で切り裂かれたのである。

彼はいつも母親のそばにいて、母親っ子であった。朝から晩まで働きづめの母親。彼の人生は何であったのか。その悲痛ははかりしれない。彼をして、認知症治療薬の開発に向けての揺るぎない情熱に駆り立てたのは想像に難くない。

 

1度目の開発中止命令

相変わらず成果のない日が続いていたが、母の死後1年、36才のとき(1979年)、ある化合物を猿に投与したところ、猿の脳の血流をよくする薬が見つかった。臨床試験まで進んだが、しかし残念なことに肝臓に副作用が見つかった。薬として失格である。

これで会社によって研究生活の終結を宣告された。

一度目の開発中止命令である。

「八郎が八年で八億円」。費やした期間は8年、かかった費用が8億円。撃墜王と陰口が叩かれた。

 

2度目の開発中止命令

不思議な偶然が起こった。

彼は41才、治療薬の開発中止命令があってから1年後、ある論文の中で、脳の神経細胞から放出されるアセチルコリンという物質が減ると記憶力がおとろえるが、逆にその減少を補う手だてがあれば症状が改善できるかもしれないという、「コリン仮説」に出会っていた。

ある日、ほかの部署で全く別の目的で作った化合物に、ほんのわずかであるがアセチルコリンの回復を助ける成分が認められた。偶然であった。

彼は、上司に直談判して、研究の開始を訴えた。

この新しく見つかった化合物を改良し、その効果をさらに高めるための新しいチームを編成する。

会社により正式なプロジェクトが認められた。

彼は、このとき管理職であった。

普通なら、リーダーが理論をかかげ、その方向で作業を進めるが、彼は、チームの部員にアイデアを自由に出してもらうことにした。1週間に10個の化合物をつくる。やり方は部員に任せる。数打ち当る作戦である。そして、彼は、資金を調達したり、行き詰った時にアドバイスをしたりして、陰で部員を支える役割を担った。

改良された化合物をつくるには、数をつくらなきゃならない論理と、論理的につくらなきゃならない論理と2つの考えの対立があるが、彼は前者を採ったのである。

薬の開発とは広い砂漠から一粒の砂金を探し当てるような作業。自分の発想には限界がある。むしろ意外性が大事。ロジックで成功するなら、みんなが成功している。ロジックの外にあるところが成功するかどうかの分かれ道。

しかし数打ち当るやり方は失敗をたくさん味わう両刃の剣でもある。なかなか功を奏しない。2年経ってもダメ。そのうち部員から不満が出てきた。自由に任されているが、かえって自由でバラバラになってしまう。やはり統一した考えのもとにやらなくては、このままではバラバラになりかねないと。

彼は一計を案じ、幾度となく、部員を自宅に招いて妻の手料理でもてなした。

開発をはじめてから3年。ついにアセチルコリンの回復を助ける成分が当初の化合物の2万倍以上ある最強の化合物が土屋部員によって見つかる。世界最強の化合物である。

しかし、残念なことに、動物実験をすると、これは脳に辿り着くまでに肝臓で分解されてしまう。脳に辿り着けなければ意味がない。 

イムリミットである。

会社からチーム解散の命令が下った。

2度目の開発中止命令である。

 

治療薬「アリセプト」の開発に成功

アセチルコリンの回復効果は明白。ただ脳に辿り着けないのに過ぎない。彼はあきらめきれない。彼は何度も上司に開発の再開を頼んだがダメである。

ある日、新任の部長が様子を見にやってきた。

「次の研究はどうですか」

「便所の火事ですよ」・・・「ヤケクソ」です。

成功する2つのコツは「コツコツ」です。

彼はオヤジギャグを連発した。部長はオヤジギャグが好きでした。

その後、1年との期限付きで研究再開という嬉しいニュースが飛込んできた。

チーム再結集である。 

土屋部員が作った化合物を、脳に伝達する前に肝臓で分解してしまう欠点を克服する、ものにする。

チームには飯村という大学院を出たばかりの若手が合流した。彼はマイペースで、自分が納得できないものはやらない。我が道を行くというタイプである。

そのうちチームに不協和音が生じてきた。

方針を統一するか、今までどおり自由にやらせるかで杉本八郎さんは岐路に立たされた。

杉本八郎さんは逡巡したが、方針は変えないことを貫いた。

不可能なことを常識どおりのやり方でできるわけがない。人のやらないことをやるのが研究。人のやらないことをやらない限り一番になれない。

マイペースを貫く飯村はケトンという合成に興味をもち、一人だけ他の部員と違うアプローチで化合物をつくり、与えられた課題を解決しました。

 

現在進行中の開発

杉本八郎さんは、4年前、大学の部屋を借りてベンチャーを立ち上げ、3人の部員を使ってアルツハイマー認知症の根本治療薬、GT863の開発研究中で、手応えのある化合物は出来ているということである。もちろん、3人には自由にやらせる方針で研究をすすめている。

 

杉本八郎さんから学ぶ6つのこと

1.彼は9人兄弟の8番目、母親っ子でいつも母のそばにいた。

家は貧乏で、母は朝から晩まで働きづくめであった。彼は「私の運の強さの原点は親孝行にあると思っている」という。凄い言葉である。

母が認知症であったこと、結果的には母を認知症で亡くしたこと、悔しさは如何ばかりのことであったか。

その思いが、彼を認知症の治療薬の開発に駆り立て、研究の途中で挫けそうになったのを支えていったのではないか。

開発を成し遂げた要因はひとつではないが、最大の要因は母への思いではなかったろうか。

運の強さの原点は親孝行と言い切る言葉に、人生の深みを感じる。

 

2.会社の2度にわたる開発中止命令に屈せず、ついに新薬開発まで漕ぎつけている。

彼は「諦めなかった人が成功者になれる、成功するまでやる」という。

また「自分を信じること、そして人のために貪欲であること」が大事だという。

成功した人の言葉で重みがある。

私は、何かを成し遂げようとするとき、果して成功するまでやり続けてきたのだろうか。殆んどの場合、理屈をつけて途中で放り出していたのではないか。

成功する2つのコツは「コツコツ」。諦めなかった人が成功者になれる。成功するまでやる。この言葉は、私には大変な良薬である。気の遠くなるような作業も続けられそうだ。

 

3.認知症に有効な化合物を見つけるのは、広い砂漠から一粒の砂金を探し当てる作業。一般的に確率は1/13000といわれる。

普通ならリーダーが方向性を示し、そのレールに従ってチームのメンバーが化合物をつくっていくのでしょう。その方が一見早道のようにみえるし、メンバーも気が楽。

しかし、彼は、チームのメンバーに対し、自由な発想とアプローチで研究させている。驚きのリーダーシップである。簡単そうにみえるが、この決断は並大抵のものではない。結果が出なければ途中でブレてしまう。

彼は言う。「一見、マネージメントのない無秩序の研究のように見えるが、本人の自主性がモチベーションを高めるスイッチとなる」

新しいリーダー像が提示されている。

 

4.成功の原因は何かと問われれば根拠のない自信。ロジックではなくパッション。

ロジックで成功するならみんなが成功している。

ロジックの外にあるところが成功するかどうかの分かれ道。

彼の行ったチームのメンバーの自由な考え、発想、行動にまかせる、というのと相通じるものがある。

彼の考え方もひとつの考え方であると認められるとして、私が驚かされるのは、彼はそれを信じていることである。信じ切っていることである。

 

5.剣道7段、ダジャレ大好き。

このことも私は妙に引っかかる。

ダジャレ大好きは、治療薬開発にとって案外大きな力となったのではないか。心のゆとりであり、場をなごませるものである。

剣道7段。

ひょっとして運動の効用は大きいのでは。

そういえば癌の治療薬オプジーボノーベル賞を受賞した本庶佑さんはゴルフでエージシュート(自らのラウンドスコアが年齢(現在76歳)と一致、もしくは下回ること)を達成したいとか。

 

6.杉本八郎さんは76歳、現在もアルツハイマー認知症の根本治療薬の開発に挑戦している

人生で大切なのは過去の栄光ではない。現在及び未来である。現在及び未来にとって、経験は原動力となるが、反面引きづりまわされる側面をもつ。

人生は現在及び未来である。彼はこれを実践している。 

 

「あんたさん、どなたですか?」―世界初のアルツハイマー治療薬の開発に成功した杉本八郎物語―

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「ものは言い方ひとつ」で人間関係修復 - 生きるうえでの知恵

 

  1. O先生との出会い

  2. O先生の一言

  3. 「ものは言い方ひとつですよ」の実践

  4. 「ものは言い方ひとつ」とはどういうことか

  5. 「ものは言い方ひとつ」で勇気をもって、相手に働きかける

 

O先生との出会い

平成4年頃ですから、今から27年前になりますか、私は、某デベロッパーの一員として、東京の目白で土地有効利用に関わっていました。そこで、ビルの建築をすることになり、ビルを設計する設計事務所とは別に、オブザーバーとして、オーナー推薦の設計事務所のO先生ともいっしょに仕事をすることになりました。このときO先生は60才台でした。

O先生は、オーナーの住宅の設計に携わっておられましたが、個人住宅の設計を多く手がけられていて、ある住宅雑誌では先生の設計された住宅がよく取り上げられていました。先生の設計スタンスは、使い勝手がよい、というのが基本線でした。私がはじめて出会った本物の設計者でした。

 

O先生の一言

ビルの基本プランの打ち合わせが終わって、ウィスキーを飲みながら雑談しているとき、O先生が、ふと「ものは言い方ひとつですよ」と言われたことがありました。ウィスキーは先生ご推薦の安いサントリーホワイトを常温水で割ったものです。

私は、尊敬していた先生が発せられた言葉ですので、心に響くものがありました。

それだけではなく、私はどちらかというとストレートに物を言うほうで人を戸惑わせることがありましたので、この言葉は私の心にグサリと刺すものがありました。

 

「ものは言い方ひとつですよ」の実践

それからというものは、人との交わりで困ったときに、しばしば、この言葉を想い出して、「ものは言い方ひとつ」を実践させていただいています。

私にとっては、まさに生きた言葉で、ダイヤモンドです。

幾度となく、膠着しそうになった人との関係をスムーズにいかせてくれます。

 

「ものは言い方ひとつ」とはどういうことか

「ものは言い方ひとつ」で変わる、といいますが、要は、「言葉使いを柔かくする」ことです。そうすると自然に相手を配慮することになります。膠着しそうになった相手との関係がよくなります。落ち着いた気持ちで話すことができます。

 

「ものは言い方ひとつ」で勇気をもって、相手に働きかける

人との関係で困ったとき、例えば、つい乱暴な言葉を吐いてしまったとき、それを修復するために、言葉をかけることは抵抗が大きいのですが、「ものは言い方ひとつ」だと自分に言いきかせて、勇気を持って相手に働きかけます。

そうすると、自分が思った心配はどこへいったのやら、相手との膠着状態は自然と氷解することもしばしばです。

それこそコペルニクス的展開です。自己中心から相手中心になれば、問題が解決するのです。「ものは言い方ひとつ」で相手中心となり、人間関係修復です。

考えてみますと、「ものは言い方ひとつ」は人間関係で困ったときの修復に限りません。およそ、対人関係で、中心に居座る言葉といってよいのではないか、と思っています。

巷で言われる「いい人」とは? 自分の評判をよくする方法

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私達は、人の評判を全く気にしないで生きてゆけません。

もっとも、人の評判を気にしてばかりいて右往左往するのは論外ですが、自分が人からよく思われないことが続いたりすると考え込んでしまいます。

しかし、誰からも好かれるなんて出来っこありません。

そうしたときに、どうしたらよいのでしょうか。

 

目次

 

1.いい人とはどんな人 

「あの人はいい人だ」ということをよく耳にします。いい人であれば、人からよく思われない、ということはなくなります。

いい人だ、いい人だと巷で言われるのは、一体どういう人のことを指すのでしょうか。

じっくり考えてみました。

どうやら、いい人だと言われているのは、いい人だと言った人にとって都合の良い人のことのように思われます。

Aにとって都合が良い、言い方を変えれば組し易い人、Bにとっても、Cにとっても組し易い人、そういう人をいい人だと言っているように思います。

A、Bにとって組し易くても、Cにとって組みにくければ、評価が分れ、いい人でなくなります。

 

2.いい人の特徴 

このように誰にも組し易い人は、人の話をよく聞いて頷いてくれる人です。我を通すことはなく、常に相手の立場になって考えてくれる人です。

おとなしい人で、自己主張をあまりしない人が多いといえます。

常に人の話を肯定的に聞いてくれると、誰しも心地がよく、その人を悪くは思いません。いい人だと言います。 

 

3.いい人の一側面 

もっとも、いい人は誰しもが付き合いやすいのですが、何となく物足りないともいえますし、人にいいように使われやすい側面があります。

 

4.自分の評判をよくするためには、いい人になってみるのも一考 

 私達はいくつかのコミュニティに属して生活していますが、どのコミュニティでも、みんなから受けがよいなんて出来ない相談です。万人に好かれるなんて出来っこありません。しかし、いい人は所属しているコミュニティでよく収まっています。

自分が人からよく思われないことが続いたら、ときに、いい人になって活路を開くのも一考です。

例えばおとなしくして、自己主張は極力しない、自己主張するとしてもおだやかに主張する、とか。

誰も気づかない仕合わせになる方法! 君は喜びを最大限に表現しよう

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私達は自己実現したとき仕合わせを感じますが、それに劣らず、相手が喜んでくれるときも仕合わせな気持ちになります。

さらに一歩進めて考えると、相手も、また、他人である自分が喜ぶと、仕合わせな気持ちになります。

 

目次

 

1.仕合わせを感じるときは自己実現したとき 

私達は、どういうときに仕合わせを感じるのでしょうか。

大抵の場合は、自己実現したときです。

それも困難であれば困難であるほど、それを克服して自己実現したときは、喜びはひとしおです。

バルセロナオリンピックで、当時14才であった岩崎恭子選手が水泳で金メダルを獲得したとき、「今まで生きてきた中で、一番仕合わせです」と言ったことが想い出されます。

難関の試験に合格したとき、大きな仕事を成し遂げたときなど、誰もが自己実現したときは仕合わせな気持ちになります。

 

2.自己実現より相手に喜んでもらったときの方が、より一層、仕合わせを感じることがある 

ところで、私の経験では、自己実現したときはもちろん嬉しかったのですが、それよりも相手に喜んでもらったときの方が、より一層、嬉しかったことがあります。それも数段嬉しかったことがあります。

その理由は何故だか解りません。

不思議といえば不思議ですが、確かにそうなのです。

自己実現したわけではないのに、相手に喜んでもらったに過ぎないのに、相手の喜んでいる姿に遭遇して、大変仕合わせな気持ちになったことがあり、そうして相手の喜びが大きければ大きいほど自分の喜びもまた大きいということがあります。それは自己実現したときの喜びより、比べようもないほど大きな喜びでありました。喜びの質が違います。

このような経験をしている人は私一人ではないと思います。

 

3.相手もまた、自分が喜んだ時に仕合わせを感じるときがある 

私自身が、相手の喜ぶ姿に出会って、大変仕合わせな気持ちになるのであれば、相手もまた、他人である自分の喜びようをみて、仕合わせな気持ちになることもあるのではないか、そうして自分の喜びようが大きければ大きいほど相手の喜びも大きくなるのではないか、と考えてみました。

 

4.自分が嬉しいときは、飛び上がらんばかりに喜ぶ 

上の消息を一歩進めて考えると、それまでは気づかなかったのですが、自分自身の喜び方そのものも、実は、大変大切なことなのではないか、と考えました。

それなら、どのような喜び方があるのかというと、それは、喜びを大きく表現する、ということではないか、と思うのです。 

自分が嬉しいときは、大きく喜びを表現する、そのことでそれに接した相手は、その分だけ大きく仕合わせな気持ちになるのではないか、と思うのです。 

もちろん、大きな喜びでもないのに、とってつけたように大袈裟に喜んでも、相手はすぐに見抜いてしまいます。

そういうことを言っているのではなく、相手から受けた言動や行動に対して、素直に嬉しいと思ったときは、その気持ちを、ストレートに大きく表現する、オーバーに言えば、喜びを爆発させる、ということです。

それまでの私は、自然体で、相手が喜ぶ姿に接すると、その相手の喜びの度合いに応じて、喜んでいました。 

自然体は、それはそれで大切なことですが、自然体の延長線で、思い切って大きく喜びを表現する。そうすると、喜びの表現が大きければ大きいほど、きっと相手の心をより和ませ、相手をより仕合わせにするのではないか、と思うのです。

考えてみますと、自分自身の喜び方、表現方法も人生において大きな比重を占めるのであり、相手の仕合わせを大きく増幅させるに違いない、と思うのです。 

 

世のため人のために尽す ウソをつけ! 君は自分の職業に疑問を抱いたことはないのか

私達は、多くの人が、何らかの職業に就いています。そして職業を通して「世のため人のために尽す」という命題に、意識的にせよ、無意識的にせよぶち当ります。それをどのように咀嚼したらよいのかを考えてみたいと思います。「世のため人のために尽す」といいますが、自分のこととして考えた場合、それは一体全体何なのだろうか。

 

目次

 

1.自分の選択した職業は「世のため人のために尽す」ということと無縁ではないのか 

「世のため人のために尽す」ということがいわれています。挨拶などで、「私は仕事を通して、世のため人のために尽す」と広言する人がいますが、安易すぎてギョッとします。一体、どういう料簡でこの言葉を発しているのだろうか、と思ったりします。

私達は、社会の構成員として何らかの仕事に携わっていますが、その仕事自体が「世のため人のためになっている」と考えている人は、そう多くはないのだろうと思います。

医師とか看護師とか教師とか、仕事そのものが直接的に人助けとか、人の育成とかに結びついているものは別ですが、多くの場合は、例えば企業の一員であるサラリーマンは、自分の従事している仕事が「世のため人のためになっている」と思っていないでしょう。少なくとも、日々、仕事をしながらそれを実感している人は少ないでしょう。

 

2.職業を選択した基準は生活のためが第一ではなかろうか 

自分の携わっている仕事を無理にこじつけて、「世のため人のため」といったって、ピンときません。殆んどの人が生活のために仕事をしているというのが正直なところでしょう。「仕事を通して世のため人のために尽す」といったって、よく言うよです。

そうであるなら、仕事に関する限り、「世のため人のため」という命題は放棄されるものでしょうか。

そうではないと思います。

 

3.「駕籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、またその草鞋(わらじ)を作る人」

この言葉は、「世の中には階級、職業がさまざまであって、さまざまな境遇の人が持ちつ持たれつして成り立っている。どれ一つとっても欠かすことができず、そのおかげで社会が成り立っている。どの職業も立派に役に立っている」ということです。

自分自身が携っている仕事が、「 世のため人のために尽す」とピンとこなくても、すべての仕事は社会で一定の役割を担っており、立派に社会貢献をしている、といえます。それぞれが自分の与えられている仕事を全うすることで、社会の一員としての役割を果し、「 世のため人のために尽している」といえます。

ここで弁護士を例にとってみます。

AとBの間に金銭トラブルがあります。

Aについた弁護士はAのために、Bについた弁護士はBのために、弁論を展開します。

Aについた弁護士は、Aの正当な利益を実現する限りで、Aのために知恵を絞り、何とかAに有利なように努力します。Bについた弁護士は、Bの正当な利益を実現する限りで、Bに有利なように努力します。

双方の弁護士とも、直接的には 「世のため人のために尽す」のではありません。Aに有利なように、Bに有利なように努めます。その結果Aに有利な判決がでれば、それは反射的にBにとって不利な結果となります

弁護士は日常の仕事のなかで、自分のやっていることが、「世のため人のためになっている」のか、ひそかに疑問をもっていることでしょう。

しかし個人間の争いが、個人間の歩み寄りで解決できればよいのですが、そうはいかなくなったとしても、暴力によって解決するのではなく、裁判によって解決することで(自力救済禁止の原則)、社会の秩序が保たれています。弁護士は裁判制度の中で裁判官とともに立派な役割を担い、立派に社会貢献を果しているといえます。

 

4.職業には社会貢献しない部分もある 

ところで、上記で触れたように、どの職業も社会の一部を構成し、社会において一定の役割を担っているといえますが、すべてがすべて社会に貢献しているとは限りません。

例えば、自動車についていえば、自動車は間違いなく私達に便益をもたらしていますが、他方で排気ガスを発生し、地球温暖化をもたらしています。正しく社会貢献する道に軌道修正をすることが今日的課題となっています。

そのほかにも、例えば、農業における農薬、漁業における養殖魚、健康に害を及ぼすものが少なくありません。

私達の職業は、それぞれが社会の一部を構成し、社会で一定の役割を担っており、自分に与えられた仕事を全うすることで「世のため人のために尽す」といえますが、職業そのもの、或は職業の一側面が社会に害を与えるものもあるんだ、ということを忘れてはならないと思います

私達の職業が丸ごと或は大筋で社会に貢献しているか否かは、常に吟味する必要があります。

社会に害を及ぼすのであれば、大変困難なことですが、社会に貢献するように軌道修正する労を惜しんではなりません。

 

5.どんな職業も人との交わりがあり、人を感動させる機会がある 

さて、職業を遂行するうえで、忘れてはならないことがあります。

それは、どんな職業も人と人との接触があるということです。

一見、世のため人のために役立っているとはいえそうになくても、人との接触において、「世のため人のためになっている」ということがあります。実は、このことが「世のため人のために尽す」という命題の答えとして、忘れがちとなりますが、大変重要なことではないか、と考えています。

弁護士であれ、自動車産業の従事者であれ、農・漁業従事者であれ、与えられた仕事を全うする中で、明るく、朗らかに、誠意をもって人と接触する、これが何よりも大切であり、そうしてまわりまわって「世のため人のために尽す」ことになっているのではないか、そう思うのです。

この消息は、案外、大多数の人が気づいていないのではないでしょうか。

 

6.「トンカツ屋」のおかみの話 

今は閉店してありませんが、私の事務所の近くにこぎれいな「トンカツ屋」がありました。そこのおかみは、私の行き付けの床屋の話によりますと、昔は美人で小野小町といわれたそうです。そのおかみですが、客への気配りはそれはそれは素晴しいものでした。

お茶がなくなりそうになると素早く客席まで来て、「お茶は如何ですが」と聞いてきます。タイミングが絶妙なんです。

何度か女房を連れて「トンカツ屋」で食事をしましたが、普段は厳しい彼女も、おかみの対応に感心しきりでした。

おかみはヘルメットを被り、ミゼットに乗って、近所を配達してまわっています。その姿をよく見かけたものです。

その働きぶりは、私の心を温かく温かくしてくれました。多くの人に元気を与えてくれたと思います。

 

7.「世のため人のために尽す」と職業の選択 

私達は、それぞれの背景のもとで職業を選択し、それにより生活を営んでいます。

職業には社会に害を及ぼす部分もあり、それは批判的に吟味しなければなりませんが、それぞれの職業は社会の一構成部分を形成しており、一定の社会的役割を果しています。

その意味で与えられた仕事を全力で全うすることは大変意義のあることです。

そうして仕事を全うしながら、明るく、朗らかに、誠意をもって人に接する、「トンカツ屋」のおかみのようにです、そのことが、仕事を全うするとともに大変大切なことだと思っています。

どんな職業においても、明るくて、朗らかに、誠心誠意、依頼者や仲間に接することで、「世のため人のために尽す」ことができるのであり、また最も意を注ぎたいことです。