生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

嫌いな上司を蹴飛ばしたいサラリーマンへ、嫌いのままでは部署替えだぞ。

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 1.嫌いな人でも好きになる。それは出来ない。出来る。

私達のなかで、嫌いな人でも自分が努力して好きになることを実践する人は恐らく皆無に近いでしょう。

理由は明白です。理屈ではありません。嫌いなものは嫌いだからです。克己心よりも情が勝るのです。

しかし、困難なことですが、嫌いな人を好きになったら世界がどんどん広がっていきそうです。人間関係が見違えるほど広がる、そう思うのです。

ところで、人はどんな人でもです、あんな悪いやつと思う人でさえも、不思議と思えるくらい、私達が学ぶべき長所をどこかに持ち合わせており、教えられるものを何かしら持っているといえます。

すべての人が、師匠という顔を持っているといってよいでしょう。この点は私達は見落としがちになりますが、そう思って人と接触すると、なるほどと解ってもらえるはずです。

私達は、私達の嫌いな人でも、どこかに長所を持ち、それは私達が学びたいところであり、その長所をしっかり見れば、嫌いな人も好きになってくる道が開けてくる、違うでしょうか。

 

2.ゴマスリ上司にも学ぶべきものがあった。

私が30代で、当時サラリーマンをしていた時のことですが、Sという上司がいました。私はSと馬が合いませんでした。これは同僚のAから聞いたことですが、ある日、SとAと2人の上司であるTと3人がJR某駅の階段を昇ろうとしたときのことです。

突然Sが勢いよく走って階段を昇っていったそうです。Aは何事かと思っていると、Sは階段を昇ったところでJR某駅から東京駅までの切符をもって2人を待ち、顔に滴る汗を拭きながら、上司のTに切符を渡したそうです。

後日、SがAに言ったこと、「出世するのには上司のご機嫌とりが必要不可欠、それをしないサラリーマンは馬鹿だよ。」私は上司へのゴマスリを厭わないSが嫌いでした。

しかし、私はSと長く付き合っていくうちに、彼の長所をいくつか見るようになりました。その一つに、彼は自分を慕う部下の面倒見がとてもよかったことがあります。

私は、案の定、Sによって部署替えをさせられましたが、今、思えば、Sの長所を見抜いて、Sを好きにならないまでも、苦手意識はもたないことができたのではないか、と思っています。

人間は誰しもが師匠という顔を持っています。

彼から学ぼうとするほうが、彼を嫌って敬遠するより、よほど高等な生き方に違いない、と思うのです。 

緊急事態宣言の解除は「遠泳で溺れるのは浅瀬」を連想せよ!

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緊急事態宣言の解除 

新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和3年1月8日~2月7日の1ヶ月間、緊急事態措置が実施されています。

そして、今、緊急事態宣言解除について、いくつかの議論がなされています。

分科会尾身会長は個人的意見として解除について3つの条件を出されています。(2021.1.22)。

  1. 感染状況がステージ3まで下がること
  2. ステージ3になったからすぐに解除というのではなく、感染状況と医療のひっ迫状況の改善が継続している動きがあること
  3. 解除後もステージ2まで下げられるという見通しがある程度つくこと 

 

また、尾身会長は国会答弁で次のように発言されています。(2021.1.27(水))

緊急事態宣言を出したことの効果がおそらく今週の末、あるいは来週の初めにわかると思う。緊急事態宣言解除の方法、時期等にわたしは重要な影響を及ぼすと思っている。

 

政府発表予定(2021.2.2(火))

政府は、本日2月2日夕方に、栃木県を除く10都府県で、緊急事態宣言解除を3月7日まで延長する決定を発表する。なお、感染状況などが改善した場合は、期限の前でも解除する方針。

新規感染者数は減少傾向が続いているが、医療提供体制のひっ迫は改善の兆しがみられないとして、解除を延長。

 

日本経済研究センターの解除の影響予測(2021.2.2(火) 日本経済新聞記事)

政府が目安とする「ステージ3」で解除すると、目先の経済の落ち込みは小さいが夏に再宣言に追い込まれて経済が失速しかねない。「ステージ2」の水準まで感染者を抑えてから解除する、感染者が少なくなっていることから、夏に宣言の再発令に至るほどの感染拡大は招かない、夏から秋にかけて経済の回復軌道を維持できる。

 

緊急事態宣言の解除と「遠泳で溺れるのは浅瀬」について

緊急事態宣言を出すことも難しいのですが、緊急事態宣言の解除についてその方法、時期等を判断するのはさらに難しいことだと思っています。その判断が誤れば感染は再燃しかねないからです。

私は、緊急事態宣言の解除の方法や時期等を判断するとき、「遠泳で溺れるのは浅瀬」ということを念頭に入れるべきだと考えます。

「-遠泳のことである。子供たちがやるときは大てい多勢集団で列を作って泳ぐ。向う岸までかなりの距離を泳ぐわけである。海の中で波にゆられ、時には水を飲んで泳ぐ。だんだん疲れてくる。向う岸へ近づく頃はくたくたである。砂浜の人影が見え、波打ち際が見えると、やれやれと思う。ところがそれから先が大切なのだ。もう多分足が立つだろうと思って安心して立とうとするとえらいことになる。足は立たない。すぶりと沈む。水をのむ。あばれる。また水をのむ、溺れるということになる。こういう時の鉄則がある。ヒザが底の砂につくまでゆるまずに泳げということである。」 (参照:当ブログ「慎重を期する」は 遠泳で溺れるのは浅瀬を連想する(2016.9.22)

 ヒザが底の砂につくまでゆるまずに泳げという鉄則が当てはまるのはいずれの段階なのであろうか。ステージ3かステージ3でもステージ2まで下げられるという見通しがある程度つく段階か、それともステージ2か。

GoToトラベルキャンペーン(2020年7月22日~2021年2月1日)は時期を早まったのではないでしょうか。

感染がおさまってきた。感染対策をしっかりしておけば問題ない。  GoToトラベルで全国の観光産業の元気を取り戻そう、経済重視を進めていこう、というのであったのでしょう。

しかし、ヒザが底の砂につくことを確認しないでGoToトラベルをスタートしてしまったのです。早まったのです。

遠泳が溺れないための鉄則、「ヒザが底の砂につくまでゆるまずに泳げ」を肝に銘じて、緊急事態宣言の解除を行うことがきわめて大切なことだと考えます。

そしてもし解除が早まったら、即座に緊急事態宣言の時点に引き返す。ヒザが底の砂につくまでを実践することにやぶさかであってはならないと思うのです。

 

4ステージと6指標 

4ステージ

  • ステージ1  感染者の散発的発生
  • ステージ2  感染者の漸増
  • ステージ3  感染者の急増
  • ステージ4  爆発的な感染拡大 

 

6指標 47都道府県のコロナ感染6指標でみる感染状況(日本経済新聞 2021.2.2更新) 

【 2020.1.28時点 】

 

1週間の新規感染者数

感染者数の前週比

コロナ患者用病床の使用率

療養者数

陽性率

経路不明者の割合

ステージ3

15人以上

1倍以上

20%以上

15人以上

10%以上

50%以上

ステージ4

25人以上

50%以上

25人以上

東京都

53人

0.69倍

72%

116人

8.4%

56%

神奈川県

39人

0.61倍

48%

44人

13.5%

55%

埼玉県

29人

0.69倍

65%

63人

5.7%

49%

千葉県

41人

0.81倍

59%

85人

10.8%

73%

内閣官房の資料に基づき作成。病床使用者数は感染ピーク時に確保を想定する病床数に対する使用率。療養者数と新規感染者数は人口10万人あたり。

 

ステージ3では1週間あたりの感染者数が10万人あたり25人を下回ることが目安となり、東京では1日あたり500人を下回る水準となる。

真似てみた頭振り もしかして人生の宝かも

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1.学業優秀なKさんの話し 

私は田舎の高校に通学していました。この高校は県庁所在地にあり、県内各地から生徒が集まっていました。そのため優秀な生徒が集まっていましたが、それでも都会と比べるとずいぶん少なかったと思います。

その中で、私より10才くらい上の先輩に、Kさんという、飛び抜けて優秀な生徒がいました。

Kさんの大学向け校内試験の成績は抜群で、ほかの生徒とは比べようもなかったということでした。Kさんは東大に進学し、東大の学生時代のときは、すでにある分野で、教授に一目置かれた存在であったということでした。

そのKさんにまつわるつぎのような話しがあります。

高校での数学の授業で、Kさんは突然手をあげ、先生が黒板で示した解析方法とは全く別の解析方法を提示することがあったそうです。

思いもつかない解析方法に先生は驚愕するばかりだったそうです。Kさんは頭をナナメウエに回転させます。そしてやおら手をあげ立ち上がって黒板に向ったそうです。

この話しは、東大に進学した私の8才上の兄から聞かされました。

 

2.大学でのゼミで頭振りをした結果は 

私は大学で民事訴訟法のゼミに入りました。ゼミのI先生は、大変優秀な先生で、学界では、トップクラスであり、若手をキリキリマイさせたという評判の先生でした。

熱意のある人は入ゼミを拒まないという先生の方針があり、私が入ゼミした年は学生が20数人と大所帯でした。

ゼミでは、民事訴訟法の条文を学生、1人、1人に読ませ、その条文について先生が条文を読んだ生徒各自に質問される形式がとられました。

ある日、いつものとおり、学生が条文を読み先生が質問をされました。条文を読んだ学生は返答に窮していました。

しばらく時間が経ちました。

時間が経った後、私は手をあげて、こういう風に考えてよいのではないか、と発言しました。先生は頷かれ、私もそのように考えてよいと思うと言われました。

Iゼミは緊張感で張りつめていました。私はいつも六法全書とメモを用意してゼミにのぞんでいました。

私は兄の言ったことを思い出して、優秀なKさんの真似をして頭をナナメウエに振ってみました。

理屈は全く解りませんが、一つの答えが出てきましたので、それをメモに書き、それを発表しました。

こういう風に考えれば、当事者Aも当事者Bも双方が納得できる。そのように答えたことを記憶しています。

私が頭を振ってみたのは、この1回のみですが、高校の優秀な先輩の仕草が、問題を解き明かすのに役立ったと、今でも確信しています。

私達は心の「純粋」を忘れていないか ピアニスト辻井伸行さんの魅力

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1.目の不自由なピアニスト辻井伸行さんの魅力 

 

目の不自由なピアニスト辻井伸行さんが世界から称賛されていることは、今や多くの人の知るところです。ネット上の辻井伸行さん《世界から絶賛のコメント》動画から称賛のコメントを拾ってみました。

伝説のピアニスト、故ヴァン・クライバーンは言います。

「彼の演奏には神の存在が感じられます。

心が純粋で美しい調べを奏でます。

それは無限に天国へと届いています。」

音楽評論家伊熊よし子さんのコメント

共演したバイオリニスト、指揮者、いろんな人が異口同音にいうのは、

「非常に透明感があって純粋、そしてとてもまっすぐな音、ですから私たち聴き手にまっすぐに飛び込んでくるストレートな音なんです。飾り気であったり、気負いがあったり、てらいがあったり、そういうものは何もない。楽譜から読み込んだ音を素直に音に託しているので清らかな音なんです。」

 

2.私の先輩のIさんは物事をズバリと言う 

Iさんは私の2才年上で、付き合いはじめてから30年近くになります。

Iさんは物事をズバリ言ってのけます。

まわりの空気を読まないというのか読めないというのか、そういうことが度々あります。

今でいう、自己中心的ということでしょうか。

従って、周囲と時々物議を醸します。

多分、大部分の人はIさんを変わっている人だと言って片づけてしまうことでしょう。

しかし、Iさんは純粋です。純粋というところに目を向けると、Iさんは可愛げがあります。大人に成り切れないところが多分にありますが、その分、憎めないところがあります。

 

3.純粋な子供はいつ頃からか純粋でなくなったのか 

私達は、誰しも、子供の頃は純真で純粋です。

もちろん身に覚えのある方もいるでしょうが、大人顔負けの計算高いところも、時には顔を出します。しかし、大人に比べれば純粋であることは間違いないことです。

幼い子供の無邪気な振る舞いを見れば解ります。大人が叱るともうこの世の終わりとばかりシュンとし、誉めると飛び上って喜びます。ストレートに反応します。純粋なのです。

高校野球丸坊主の選手が汗まみれになって野球に取り組む姿は、爽やかで純粋で、私達を感動させます。

さて、私達はいつ頃から、純粋でなくなったのでしょうか、というより、純粋さを心の奥にしまいこんで表面に出さなくなってしまったのでしょうか。

すべては、自分と自分以外の他人との関係からでしょうから、他人をはっきり意識するようになった時からでしょう。

自我に目覚め自意識が確立した時からだと思います。

そして、もう一つはっきりしているのは、自立して生活をするようになったとき、経済を考えるようになった時から、というのがあります。自分自身の生活、経済のことを考えると、他人との付き合いには、多かれ少なかれ利害得失を考えてしまいます。多少なりとも相手の顔色をうかがうということがあります。

 

4.大人になっても純粋さは心の奥底に鎮座している 

子供の頃にあった純粋さは、大人になってくるとどこにいったのでしょうか。いなくなっしまったのでしょうか。

いやいや、どっこい、純粋さは、誰しもの心の奥底に鎮座しています。

純粋さが呼び戻されると、人は心の底から感動するのです。

ピアニスト辻井伸行さんの演奏が人々に感動を与えるのは、「心が純粋」で美しい調べを奏でるからです。

 

5.純粋とつきあう大人の心構え 

私達は、大人になれば、それまでの自己中心的な考え方からコペルニクス的展開をして、他人を利する考えを少しでも身につけていかなければなりません。

そうしたうえで、私達は、決して「心の純粋」を忘れないこと、が大切です。

邪心のない純粋は人の心を突き動かし、また自分自身をも仕合わせにしてくれるはずだたからです。

上から目線、自己中、KY(空気を読めない)、3つの流行語を考える

 

1.上から目線 

あなたの言っていることは「上から目線じゃないか」と言って人を非難しているところに遭遇することがこの頃めずらしくありません。

言われた人は黙って無視するか、話題を変えるか、「そう言うあなたこそ上から目線じゃないか」と反論して言い争いをするか、いずれかになります。

「上から目線」は、よく使われていますが、どうも便利な言葉のようで、相手の態度がでかいとき、相手を一蹴するのに使われています。

現代の民主主義社会では、大多数の人が「上からの目線」でありたくないので、この言葉を浴びせられると、心が萎えます。

「上から目線」は強い言葉で、これが飛び交う社会はギスギスします。

 

2.ジコチュー(自己中) 

「ジコチュー(自己中)」という言葉もよく使われています。

あなたは自己中だ、〇〇さんは自己中でどうしようもないね、などと日常会話でしばしば登場します。

ところで、人は多かれ少なかれ、自己中心的で、自己中です。

自分は全く自己中心的でない、という人などこの世の中には存在しません。

誰しも自己中心的ですが、人と比較して自己中心的な側面の強い人を、私達はあの人は自己中だと言っています。

「自己中」は強い言葉で、この言葉を浴びせられると大変嫌な気持ちになります。

あちらも「自己中」、こちらも「自己中」と飛び交う社会はギスギスします。

 

3.KY(空気を読めない) 

「KY(空気を読めない)」という言葉も頻繁に使われています。

人は、あの人はKYだから、といって遠ざけようとします。

KYだと場を白けさせます。気の利かない人というのです。

「上から目線」や「自己中」の人は、人に不快感を与えるのに対し、KYの人は、人に対して直接的に不快感を与えません。場違いで白けるのに気の毒だなと周囲の人が思うにとどまります。もちろん場合によっては、不快感を与えることもありますが。

ところで、非常に頭の良い人は、自己の信ずるところを述べるとき、多少とも、空気を読めない、或は読まないときがあります。

私の敬愛してやまない大学時代の恩師I先生がそうでした。難しい話しで、この場では誰も理解できないのになあ、ということでも、堂々と信ずるところを述べておられたことがありました。

私はそれを聞いて戸惑いませんでした。むしろ先生の人柄に接して感動しました。

 

4.3つの言葉の共通点 

言葉が流行するのは、時代の閉塞感が背景にあるからだと思います。

先行きの見えない行き詰まった状態の中で、「上から目線」、「自己中」、「KY」は、いずれも対象者を非難し追い込んで自らは気分をよくする意味を持った言葉です。

閉塞感から一時的に自分を解放する言葉です。

利他の心、愛の心の言葉ではありません。

またこれらの言葉は、まわりくどくなく意味を直截的に現しています。また言いやすいという特徴があります。

態度がでかい、小ばかにする、に比べ「上から目線」

自分勝手、わがまま、に比べ「自己中」

場違い、場所をわきまえない、に比べ「KY(空気を読めない)」

 

5.「責任をともなう自由主義」における言葉の選択 

これら3つの言葉は、人々の間で使われるようになってから時間が経ちますが、今もよく使われています。

いずれも、自分は横においといて、相手に対して放たれます。

自分は一体全体どうなんだ。

自分のことを考えると、容易に使われる言葉ではありません。

自分自身も「上から目線」であったり、「自己中」であったり、「KY(空気を読めない)」であったりすることを否定できないはずだからです。

現代は自由主義社会で、自由は尊重されなければなりませんが、自由だからといって何でもあり、というのは賛成できません。

私は、自由主義といってもそこに責任という冠をつけた自由主義でなければならないと考えています。

新しい時代は、「責任をともなう自由主義」を標榜するものでなければならないと考えています。

「上から目線」、「自己中」、「KY(空気を読めない)」が乱発される社会は、利己的社会であり、利他的社会ではありません。「責任をともなう自由主義」のもとでは、厳に慎む言葉です。

現代はせちがらい社会です。

これらの言葉が飛び交う社会はギスギスします。

各自が責任をもって言葉の選択をする必要があります。

言葉は人を動かし社会を変えていく力があるのですから。