生きているだけで十分仕合わせだ

今まででハッとしたこと。驚いたこと。生きていくうえで確かなこと。私の息子(昭和60年生まれ)に是非伝えたいことを書いていきます.猫に小判か、みずみずしい類体験か。どうぞ後者でありますように。

中国の海外支援 下部構造が上部構造を規定する

 

1.世界保健機関(WHO)テドロス事務局長の中国寄りの行動 

世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は、2020年1月30日の会見で、中国の新型コロナの対応を称賛し、米国が1月末に決めた中国からの入国禁止について反対しました。その後新型コロナの感染は世界中に広がっています。

WHOの対応は中国を擁護する姿勢が目立ちます。

テドロス氏の母国はエチオピアで、外相や保健相をつとめ、2017年にWHOの事務局長に就任しています。

エチオピアの首都アディスアベバにあるアフリカ連合本部は、2012年に中国政府が総工費150億円を全額負担して建設されています。

エチオピアの交通システムや高速鉄道など多くのインフラ案件に対しても中国の政策銀行、中国輸出入銀行が出資しています。

中国は広域経済国構想「一帯一路」の戦略で、アフリカ諸国との関係構築を急いでいます。-2020.4.16 日本経済新聞 WHOの透明性、調査で保証へ コロナの初動対応から

 

2.下部構造が上部構造を規定する 

私はテドロス事務局長の新型コロナウイルス感染の初期対応に疑問をもちました。

中国からの入国禁止措置などWHOの初動対応に遅れがあったのではないか。と思いました。

テドロス事務局長は、エチオピア経済が中国によって多大の恩恵を受けているということを無視できなかったのではないか、そのため中国寄りの行動をしたのではないか。

経済は国や企業の行動に大きな影響を与えます。経済は大きく物を言います。

私は、大学時代に知ったマルクス唯物史観、「下部構造が上部構造を規定する」という言葉を思い出しました。

下部構造の経済に変化が起きれば、上部構造の政治、宗教、道徳、法律などが変わり、人間の歴史が動いていく。

社会の一番の基礎は経済である。政治、宗教、道徳、法律などの精神的活動は、経済に影響を与える側面を否定するものではないが、究極的には経済によって決定される。

唯物史観は、社会の構造、流れといったものについてふれており、俗にいう、日常生活において、経済が物を言う、幅を利かす、という意味で使われているとは思いませんが、私は、「下部構造が上部構造を規定する」という言葉を思い出し、テドロス事務局長の一連の行動は、中国の経済が与って力があったに相違ないと思ったのです。

もっとも私自身は経済が精神的活動に大きな影響を及ぼすとは考えていますが、究極的には精神が経済を動かすと考えています。

 

3.私達の身のまわりでも経済は大きく物を言う 

経済が国や企業を動かすのはよく理解できることですが、実は個人の日常的行動も経済が重くのしかかってきます。

私達は、経済援助を受けている人やお金を借りている人に対し頭が上がりません。援助がストップしたり、借金の返済をせまられれば、立ちどころに生活に支障をきたすからです。どんな人でも、援助してくれる人やお金を貸してくれる人に対し、気がねをし、その意向に注意を払います。

もちろん、すべてにおいて相手の言うままに動くというわけではありませんが、結局のところ相手の意向には逆らえません。

 

4.中国の海外支援は将来世界を自らの掌中に収めることになりはしないか 

中国は、モンテネグロパキスタンスリランカ、マレーシア等の途上国に、インフラ整備を目的に、高額な貸し付けを行い、その結果、各国が返済できないような債務を抱えるようになってしまっています。

スリランカは、中国に対する負債が重荷となり、ハンバントタ港の運営権を99年間中国に譲ることになっています。

また、中国が途上国で開発プロジェクトを実施するときは、中国から労働者を派遣して工事を実施し、雇用の面で、対象国が恩恵にあずかることはないといわれています。

中国の海外支援は、「一帯一路」構想等を通して今後も続けられるでしょうが、経済が物を言って、支援を受けた国はいつのまにか中国の支配下になっていくことにはならないか。

中国の経済発展は著しいものがあります。中国は、経済をテコにして猛スピードで海外支援を行い、いつの間にか世界を自国の支配下にしてしまう、そういう目論みをもっていないか、大変危惧します。

中国の南シナ海東シナ海尖閣諸島への動きをみると、その思いを強くします。

詐欺師はプロ 野球でいえばプロでありアマチュアではない

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1.スペイン旅行と現地案内人 

今から37年位前になりますか、私が30才後半の頃、私はT君と二人で、スペインのバルセロナを旅行しました。

T君が事業をやりたいというので、バルセロナの「バール・酒場」の実地見学に行ったのです。

二人はマドリードに一泊してから、つぎにバルセロナに向かいました。バルセロナに着くと、ホテルに荷物を預け、さっそく二人でバルセロナの街に繰り出しました。

夜のバール実地見学の前に折角だから市内見学をしようというのです。

”カメラをぶら下げた二人連れ”

今から考えると、典型的な日本人旅行者の出で立ちです。

天才建築家ガウディの作品を見て歩こうというので、たしか、はじめにグエル公園に行き、つぎに集合住宅であるカサ・ミラを見に行ったと思います。

カサ・ミラの前に立っていると、見知らぬ背の高いスペインの現地人とおぼしき人が私達に近づいてきました。

スペイン人は、私達にわかりやすく、カタコト英語で話しかけてきます。

日本人は金持ちだ、とか何とか言って話しかけ、やたらと日本人のことを誉めまくります。しかし、黙って聞いていると、誉めるばかりではありません。日本人の短所も言ってきます。

そのうち、「闘牛を見ないのか」と言うので、「それは予約しているので明日行くつもりだ」と言うと、「それは大変だ。その切符は偽物だ」と言うのです。私は怪訝に思いましたが、黙ってその場をやり過ごしました。

「これからサグラダファミリア(ガウディ建築の目玉であり、工事中の大教会)に行くところだ」と言うと、「それなら自分が案内する」と言います。

案内されるまましばらく歩いて行くと、サグラダファミリアに着きました。

サグラダファミリアの前はちょっとした広場があって、多くの見物人がいました。

見物人は、サグラダファミリアの塔の中に入るため、長い行列をつくって順番待ちをしています。

スペイン人は、「外で待っているから、塔の中に入って見物してきて下さい」というので、私達二人は行列に加わりサグラダファミリアの塔の中に入ることにしました。

二人が塔の中から出て見学を一通り終えるまでには相当の時間を費やしました。30分、いやもっと長い時間だったと思います。

私達は、もうスペイン人は外で待っていないだろうと思っていましたが、意外にもスペイン人は外でじっと私達を待っていました。

これにはT君は大変感激しました。

それから三人はサグラダファミリアから離れ、街の中をゾロゾロ歩き出しました。

しばらくすると、飲み物を売っている店が見つかりましたので、三人はそこで休憩をとりました。

戸外に設けられたテーブルを囲んで談笑しました。

しばらくすると、スペイン人は「本物の闘牛の切符を手配するから」というのです。

T君はお金を彼に渡そうとします。

私もT君にばかり払わせるのはまずいと思いお金を用意しました。

スペイン人は二人からお金を受け取ると、近くにいたタクシーに乗ってその場から離れてしまいました。

咄嗟に、私は「あっやられた」と叫びましたが、後の祭りです。

ホテルに帰って、ホテルの従業員にそのことを話すと、気の毒そうに、「ホテルの予約は本物です。そのスペイン人は決して切符を買ってあなた方のところに戻って来ないでしょう」と言うのです。

スペイン人は、素朴な感じの人でした。私達二人といっしょに歩きながら、自然体で話してきました。

会話の中では、日本人をしきりと誉めます。しかし、誉めるばかりでは私達も警戒しますが、短所もズバリと言ってきます。これには見知らぬスペイン人を警戒している私達を少し信用させるものがありました。

そして長時間、サグラダファミリアの前で私達を待っていましたので、私達の警戒心は一気にほぐれました。

そしてお金の用立てです。

私達はものの見事に引っ掛かったのです。

 

2.新宿歌舞伎町と客引き 

私が30才半ばの頃だったと思いますが、新宿歌舞伎町で、暴力バーに出くわしたことがあります。

その日は、会社の上司の方と行きつけのカラオケバーに飲みに行きましたが、やや消化不良で、上司と別れた後、もう一杯、気分直しに飲みたいと思い、歌舞伎町をブラブラ歩いていました。

その日はどういうわけか懐も温かく、財布には10数万円入っていました。私がこんなにお金を持って歩くのは後にも先にもこの日ぐらいです。

ブラブラ歩いていると、私の少し斜め後ろから客引きがついて来ました。客引きは、声をかけません、いるでもなくいないでもなく、そっと私のそばを歩いてきます。私はしばらくすると、階段を降りていました。

これが、今から考えると不思議でなりません。普段なら多分階段の前で地下に向って降りるのに逡巡すると思うのですが、その日は何の抵抗もなく私は階段を降りていました。

店の中は、お客と女性店員で適度に混んでいました。席を案内されると女性店員が2人あてがわれました。私は、まあまあの人がいるのを確かめると、少し安心して、ビールを注文しました。

それでもビールを少し飲んだところで、多少不安になってきましたので、今、勘定はいくらくらいかと尋ねました。すると数千円という返事が返ってきました。私は安心して飲み続けました。

しかしやっぱり気持ちわるくなって、再度、今いくらかと尋ねました。そうすると、今度はいっきに値段が跳ね上って10万円というのです。

「あっやられた」と思いました。

私は観念して、出入口の勘定する場所まで行くと、5万しか持ち合わせがない。これで勘弁してくれと頼み込みました。

何とかその場を切り抜けると階段を昇って外に出ました。

懐には10数万ありましたが、よくまあ5万といって切り抜けたものだと後から考えると思うのですが、そのときは妙に腹が据わったことを覚えています。

客引きは、私の足どり、私の年代等々を見て、よいカモだと察知したのでしょう。もしかして私の懐具合も見抜いていたのかもしれません。

私を物の見事に誘導し後ろを振り返らせないのです。プロ中のプロだと思いました。

 

3.詐欺師は詐欺のプロ。しかも詐欺集団はプロが組織化されている。 

スペインの現地案内人は、カメラをぶらさげた二人連れは日本人であって「カモ」であり、

その日本人は誉めるだけではなく、少しだけ短所も言うと信用するようになり、

長時間にわたって待機すればその誠意に素直に感動してしまう、

ということを知っています。そして頃合いを見て無理なくお金を出させる。そのタイミングを知っています。 

新宿歌舞伎町の客引きは、どういう表情をしてどういう歩き方をする通行人がお金を持っているかを知っています。

恐らく何度も何度も実践を繰り返して身につけた目利きでしょう。

またどういう方法で客を誘導するのがよいかを多くの失敗を繰り返しながら自分のものとしています。 

スペインの現地案内人も新宿歌舞伎町の客引きも、プロです。さりげない方法でいとも簡単に私を騙したのです。

今おもえば、両者とも騙すのが自然体で実にたくみなのです。

野球のことを考えるとわかりやすいのですが、アマチュア野球とプロ野球では全くレベルが違います。

プロは、素質のある選手を集め、組織化し、そこで猛練習を繰り返し技術を究めていきます。

詐欺集団は、野球でいえば、プロ野球球団とでもいってよいでしょう。

マチュアとは技術が違います。日々練習を繰り返し技術の向上を目指しています。

実際の経験をもとに、騙す方法に改良を加えていきます。日進月歩の進歩です。

詐欺の被害者は、詐欺については全くの素人です。プロ組織である詐欺集団に敵うわけがありません。

詐欺の誘いに一歩でも踏み入れば、たちまち餌食になってしまいます。どうあがいても泥沼から這い上がることはできません。

詐欺から身を守るためには、詐欺の誘いに気づいて、足を踏み入れないことが肝心です。

スペインの現地案内人には、案内を断ればよかったと思いますし、歌舞伎町の客引きには、客引きを無視すればよかったと思います。

詐欺から身を守るためには、詐欺の誘いの最初の段階でそれに気づき、気づいたら、何か怪しいと思ったら、警察や家族などの第三者に連絡をして相談に乗ってもらうことです。

三者に相談に乗ってもらうことで、冷静な判断や行動に出ることができます。

では、詐欺の最初の段階で、どうも怪しいと気づくにはどうしたらよいか、ということになります。

それには、敵に勝つには敵を知る、ではありませんが、詐欺の手口を知っておくことが役に立つと思います。

しかし詐欺の手口は多くありすぎます。新手の詐欺も発生します。自分に関わりそうなものと最近多く発生しているものを中心にいろいろな機会をとらえて詐欺の手口を学習しておきたいものです。

 

4.父の残した言葉

私の父は、地方で中小企業を経営しておりましたが、人を採用しようとして面接を行なっていた時、人柄、能力ともに申し分のない人に出会ったことがあったそうです。あまりにも良かったので、いつもは後日に採用通知を出すことにしていましたが、ついその場で採用しようとしたことがあったそうです。

しかし、ぐっと我慢して、その場での採用を思いとどまり、そして、念のため、翌日に調査を行なったところ、暴力団関係の人ということが判明し、冷や汗をかいたことがあったそうです。

何事においても、その場ですぐに決めない。必らず一呼吸置くようにする。そうすることで未然に過ちを防ぐことができる。父がそう言っていたということを母から聞いたことがあります。

 以上は前に、当ブログの「知恵」(カテゴリー)の中で掲載した一文です。

私は、父の残した言葉は詐欺集団の詐欺から免れるために役に立つと思っています。

見知らぬところから誘いがあったら、たとえどんなことがあったとしても、すぐにその場で決めて行動に移らない。翌日に結論を出すようにする。たとえそのことで大きな問題が起こることがあってもです。

当ブログの「生きる知恵「ゴーサインは一呼吸置いてから」で間違いを防ぐ」の中では、私が実際に詐欺から免れた経験を二つ書いています。是非読んでみて下さい。

 

新型コロナ感染-「君たちはどう生きるか」のコペル君ならどうする

漫画 君たちはどう生きるか

 

君たちはどう生きるか」は、2017年8月発売後、漫画版と原作の新装版が大ベストセラーとなり、200万部を突破しています。そこでは15才になるコペル君のへんな経験や友人達との交流をとおして、コペル君の心の成長が描かれています。

 

 

 

「まあいいか」といって人の混んでいるところに入るのは自己中心的です。

 

「他人に移さない」という強い意志をもって人の集まるところを避けるのは、他人を思いやる心です。

 

君たちはどう生きるか」の冒頭に出てくる「へんな経験-ものの見方について」の中で次のことが書かれています。

コペル君はおじさんと銀座のデパートの屋上から、雨粒くらいの小さな人や車を見て、「人間って分子なのかも」とつぶやきます。遠くにいる人も、近くにいる人も、おじさんも、僕も・・・・・・。

おじさんはノートの中で、地球を中心に太陽などの天体が回るという天動説に対し、コペルニクスによって太陽を中心に地球などの天体が回るという地動説が唱えられたときは大変な騒ぎでした、として天動説のような考え方、すなわち自分を中心にして物事を判断してゆくと物事の本当のことを知ることができなくなる、と説きます。

そしてコペル君は、自己中心的でなく、自分を離れて判断することが大切なことを学びます。

 

現在、新型コロナウイルス感染は、中国、韓国、イタリア、スペイン、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ等々、世界中にまん延しています。

日本でも、日々増加の一途をたどり、感染の爆発的増加(オーバーシュート)の一歩手前で、この段階でも医療崩壊が起こる可能性もあるといわれています。

感染の拡大は、煎じ詰めれば人と人の接触によるといえそうです。人と人の接触を避けることができれば、感染の拡大はおさまりますが、そうすれば経済活動はストップしてしまいます。その折り合いが難しいのですが、政府の専門家会議では「3密」の回避の呼びかけを行っています。

すなわち

換気の悪い「密」閉空間

多数が集まる「密」集場所

間近で会話や発声をする「密」接場面

何とかオーバーシュートは避けたいということでしょうが、全く予断はできません。今の時点で、当面、私達個人で出来ることは、「3密」の回避手洗いマスクの着用ですが、これが思うようには実践されていません。

これを実践するのには、自分本位の考えではうまくいきません。

若い人や元気な人は、自分は感染することはないだろう、たとえ感染しても重篤となったり、死亡することはまずないだろう。多少のリスクはあるが、人の集まるところに入っても、「まあいいか」となってしまう。3密の回避も身勝手に自分に都合のよい方向に解釈しがちになります。手洗いもマスク着用も同じことがいえます。

脇が甘いのです。

 

しかし、コペルニクス的展開で!

 

私達は今感染していなくても、明日感染しているかもしれません。潜伏期間は1~14日(平均5.8日)といわれていますが、少なくともその間は自分が感染しても気づきません。症状がでない人や軽症の人では、検査をしない限り、長期にわたって気づきません。

私達は自分で気づかないうちに他人に感染させているかもしれません!

コペルニクス的展開で、他人を思いやり他人に感染させないことを決心する

自分のことだとどうしても甘くなってしまいますが、家族はもちろんですが、友人も、ひいては自分の知らない人でも決して感染させないと決心すると、不思議なことに、強い意志が出てきます。この意志は人間として高いレベルにあるからでしょう。

コペル君なら他人に感染させないぞと決心することでしょう。

すさまじい猛威を振るう新型コロナウイルス感染のニュースが毎日続いています。

自戒をこめて、私自身のコロナウイルス感染に対する心がまえを書いておきました。

 

参照:当ブログ

www.kanyou45.com

 

認知症治療薬を生んだ最大の要因? それは母への思い! 逆転人生のあらすじと感想

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薬のノーベル賞 杉本八郎さんの「逆転人生」がテレビ放映

本年(令和元年)7月29日、NHKテレビの「逆転人生」で、薬のノーベル賞といわれる英国ガリアン賞を受賞した杉本八郎さんのことが放映された。

杉本八郎さんが開発したのは、認知症の中で67.6%を占めるアルツハイマー認知症の進行を遅らせる「アリセプト」という治療薬である。

テレビでは杉本八郎さん自身が登場し、18才で工業高校を卒業して、製薬会社(エーザイ)に就職され、それから長い紆余曲折を経て新薬を開発されるに至るまでの経緯が描かれている。そして現在は、アルツハイマー認知症の根治薬の開発を目指されているということで結ばれている。

私はテレビに釘づけになった。

紆余曲折がドキュメンタリータッチで描かれているので、ついつい画面に引き込まれてしまった。

その中で

杉本八郎さんの母が認知症になり、それなら自分で認知症の薬を作ろうと決心したこと。

会社のニ度にわたる開発中止命令に屈せず、ついに開発まで漕ぎつけたこと。

開発チームのリーダーとして、チーム部員の自主性に委ねる方針を打ち立てこの方針を貫いたこと。

成功の原因は何かと問われれば根拠のない自信。ロジックではなくパッションだと言い切られること。

剣道7段。ダジャレ大好きであったこと。

76才だが、現在も治療薬(アルツハイマー認知症の根治治療薬)の開発を続けている。76才でも夢実現に向けて現役であること。

 

工業高校卒業後、製薬会社に就職

杉本八郎さんは18才のとき(1961年)、工業高校を卒業後、当時小さかった製薬会社に就職し、薬を開発する部署に配属された。高校程度の知識では、化学式も薬品のこともわからず、彼は会社のお荷物社員でしかなかった。定時で退社し、退社後は会社の屋上で剣道をやり、仕事2割、剣道8割の「給料泥棒」であったと自戒。

 

夜間大学に通いながら仕事に没頭 母の認知症発症

ところがそれから15年後、33才のとき(1976年)、彼は打ってかわって仕事づけの日々を過す。自腹で夜間大学に通い、専門知識を習得する。のめり込んでいったのは認知症の治療薬である。

実は、母が血管性認知症になっていたのである。

忘れられない出来事がおこった。

彼がある日、果物を買ってきたよ、と母にもっていくと、母が、

「あんたさんは誰ですか」

「僕は八郎ですよ」

「私にも八郎という息子がいるんですよ」

「あんたと同じ名前ですね」

彼は涙が止まらなかった。

彼は母親っ子で、彼はいつも母のそばにいた。ショックであった。 

当時は認知症の薬なんか無い。じゃあ、せっかく製薬会社の研究所にいるのなら、自分で認知症の薬を作ろうと決心する。

彼はひたすら薬づけの基本である合成という作業を繰り返した。複数の物質を混ぜ合わせ血管に作用する新しい化合物をつくる、いわば薬の種をつくる作業である。

見込みのありそうなものは、マウスなどの小動物に投与して効果を確認、さらに精度の高いデータを得るため、猿に投与する。猿の実験は大学に協力してもらう。片道3時間、毎週新しい化合物をもって大学に通い続けた。

そして2年後、認知症の悪化で身体を弱らせていた母が、風邪をこじらせて亡くなった。9人の子供をかかえながら朝から晩まで働きづくめで、ようやくおだやかな日々を過せるようになった矢先のことである。認知症という病で切り裂かれたのである。

彼はいつも母親のそばにいて、母親っ子であった。朝から晩まで働きづめの母親。彼の人生は何であったのか。その悲痛ははかりしれない。彼をして、認知症治療薬の開発に向けての揺るぎない情熱に駆り立てたのは想像に難くない。

 

1度目の開発中止命令

相変わらず成果のない日が続いていたが、母の死後1年、36才のとき(1979年)、ある化合物を猿に投与したところ、猿の脳の血流をよくする薬が見つかった。臨床試験まで進んだが、しかし残念なことに肝臓に副作用が見つかった。薬として失格である。

これで会社によって研究生活の終結を宣告された。

一度目の開発中止命令である。

「八郎が八年で八億円」。費やした期間は8年、かかった費用が8億円。撃墜王と陰口が叩かれた。

 

2度目の開発中止命令

不思議な偶然が起こった。

彼は41才、治療薬の開発中止命令があってから1年後、ある論文の中で、脳の神経細胞から放出されるアセチルコリンという物質が減ると記憶力がおとろえるが、逆にその減少を補う手だてがあれば症状が改善できるかもしれないという、「コリン仮説」に出会っていた。

ある日、ほかの部署で全く別の目的で作った化合物に、ほんのわずかであるがアセチルコリンの回復を助ける成分が認められた。偶然であった。

彼は、上司に直談判して、研究の開始を訴えた。

この新しく見つかった化合物を改良し、その効果をさらに高めるための新しいチームを編成する。

会社により正式なプロジェクトが認められた。

彼は、このとき管理職であった。

普通なら、リーダーが理論をかかげ、その方向で作業を進めるが、彼は、チームの部員にアイデアを自由に出してもらうことにした。1週間に10個の化合物をつくる。やり方は部員に任せる。数打ち当る作戦である。そして、彼は、資金を調達したり、行き詰った時にアドバイスをしたりして、陰で部員を支える役割を担った。

改良された化合物をつくるには、数をつくらなきゃならない論理と、論理的につくらなきゃならない論理と2つの考えの対立があるが、彼は前者を採ったのである。

薬の開発とは広い砂漠から一粒の砂金を探し当てるような作業。自分の発想には限界がある。むしろ意外性が大事。ロジックで成功するなら、みんなが成功している。ロジックの外にあるところが成功するかどうかの分かれ道。

しかし数打ち当るやり方は失敗をたくさん味わう両刃の剣でもある。なかなか功を奏しない。2年経ってもダメ。そのうち部員から不満が出てきた。自由に任されているが、かえって自由でバラバラになってしまう。やはり統一した考えのもとにやらなくては、このままではバラバラになりかねないと。

彼は一計を案じ、幾度となく、部員を自宅に招いて妻の手料理でもてなした。

開発をはじめてから3年。ついにアセチルコリンの回復を助ける成分が当初の化合物の2万倍以上ある最強の化合物が土屋部員によって見つかる。世界最強の化合物である。

しかし、残念なことに、動物実験をすると、これは脳に辿り着くまでに肝臓で分解されてしまう。脳に辿り着けなければ意味がない。 

イムリミットである。

会社からチーム解散の命令が下った。

2度目の開発中止命令である。

 

治療薬「アリセプト」の開発に成功

アセチルコリンの回復効果は明白。ただ脳に辿り着けないのに過ぎない。彼はあきらめきれない。彼は何度も上司に開発の再開を頼んだがダメである。

ある日、新任の部長が様子を見にやってきた。

「次の研究はどうですか」

「便所の火事ですよ」・・・「ヤケクソ」です。

成功する2つのコツは「コツコツ」です。

彼はオヤジギャグを連発した。部長はオヤジギャグが好きでした。

その後、1年との期限付きで研究再開という嬉しいニュースが飛込んできた。

チーム再結集である。 

土屋部員が作った化合物を、脳に伝達する前に肝臓で分解してしまう欠点を克服する、ものにする。

チームには飯村という大学院を出たばかりの若手が合流した。彼はマイペースで、自分が納得できないものはやらない。我が道を行くというタイプである。

そのうちチームに不協和音が生じてきた。

方針を統一するか、今までどおり自由にやらせるかで杉本八郎さんは岐路に立たされた。

杉本八郎さんは逡巡したが、方針は変えないことを貫いた。

不可能なことを常識どおりのやり方でできるわけがない。人のやらないことをやるのが研究。人のやらないことをやらない限り一番になれない。

マイペースを貫く飯村はケトンという合成に興味をもち、一人だけ他の部員と違うアプローチで化合物をつくり、与えられた課題を解決しました。

 

現在進行中の開発

杉本八郎さんは、4年前、大学の部屋を借りてベンチャーを立ち上げ、3人の部員を使ってアルツハイマー認知症の根本治療薬、GT863の開発研究中で、手応えのある化合物は出来ているということである。もちろん、3人には自由にやらせる方針で研究をすすめている。

 

杉本八郎さんから学ぶ6つのこと

1.彼は9人兄弟の8番目、母親っ子でいつも母のそばにいた。

家は貧乏で、母は朝から晩まで働きづくめであった。彼は「私の運の強さの原点は親孝行にあると思っている」という。凄い言葉である。

母が認知症であったこと、結果的には母を認知症で亡くしたこと、悔しさは如何ばかりのことであったか。

その思いが、彼を認知症の治療薬の開発に駆り立て、研究の途中で挫けそうになったのを支えていったのではないか。

開発を成し遂げた要因はひとつではないが、最大の要因は母への思いではなかったろうか。

運の強さの原点は親孝行と言い切る言葉に、人生の深みを感じる。

 

2.会社の2度にわたる開発中止命令に屈せず、ついに新薬開発まで漕ぎつけている。

彼は「諦めなかった人が成功者になれる、成功するまでやる」という。

また「自分を信じること、そして人のために貪欲であること」が大事だという。

成功した人の言葉で重みがある。

私は、何かを成し遂げようとするとき、果して成功するまでやり続けてきたのだろうか。殆んどの場合、理屈をつけて途中で放り出していたのではないか。

成功する2つのコツは「コツコツ」。諦めなかった人が成功者になれる。成功するまでやる。この言葉は、私には大変な良薬である。気の遠くなるような作業も続けられそうだ。

 

3.認知症に有効な化合物を見つけるのは、広い砂漠から一粒の砂金を探し当てる作業。一般的に確率は1/13000といわれる。

普通ならリーダーが方向性を示し、そのレールに従ってチームのメンバーが化合物をつくっていくのでしょう。その方が一見早道のようにみえるし、メンバーも気が楽。

しかし、彼は、チームのメンバーに対し、自由な発想とアプローチで研究させている。驚きのリーダーシップである。簡単そうにみえるが、この決断は並大抵のものではない。結果が出なければ途中でブレてしまう。

彼は言う。「一見、マネージメントのない無秩序の研究のように見えるが、本人の自主性がモチベーションを高めるスイッチとなる」

新しいリーダー像が提示されている。

 

4.成功の原因は何かと問われれば根拠のない自信。ロジックではなくパッション。

ロジックで成功するならみんなが成功している。

ロジックの外にあるところが成功するかどうかの分かれ道。

彼の行ったチームのメンバーの自由な考え、発想、行動にまかせる、というのと相通じるものがある。

彼の考え方もひとつの考え方であると認められるとして、私が驚かされるのは、彼はそれを信じていることである。信じ切っていることである。

 

5.剣道7段、ダジャレ大好き。

このことも私は妙に引っかかる。

ダジャレ大好きは、治療薬開発にとって案外大きな力となったのではないか。心のゆとりであり、場をなごませるものである。

剣道7段。

ひょっとして運動の効用は大きいのでは。

そういえば癌の治療薬オプジーボノーベル賞を受賞した本庶佑さんはゴルフでエージシュート(自らのラウンドスコアが年齢(現在76歳)と一致、もしくは下回ること)を達成したいとか。

 

6.杉本八郎さんは76歳、現在もアルツハイマー認知症の根本治療薬の開発に挑戦している

人生で大切なのは過去の栄光ではない。現在及び未来である。現在及び未来にとって、経験は原動力となるが、反面引きづりまわされる側面をもつ。

人生は現在及び未来である。彼はこれを実践している。 

 

「あんたさん、どなたですか?」―世界初のアルツハイマー治療薬の開発に成功した杉本八郎物語―

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「ものは言い方ひとつ」で人間関係修復 - 生きるうえでの知恵

 

  1. O先生との出会い

  2. O先生の一言

  3. 「ものは言い方ひとつですよ」の実践

  4. 「ものは言い方ひとつ」とはどういうことか

  5. 「ものは言い方ひとつ」で勇気をもって、相手に働きかける

 

O先生との出会い

平成4年頃ですから、今から27年前になりますか、私は、某デベロッパーの一員として、東京の目白で土地有効利用に関わっていました。そこで、ビルの建築をすることになり、ビルを設計する設計事務所とは別に、オブザーバーとして、オーナー推薦の設計事務所のO先生ともいっしょに仕事をすることになりました。このときO先生は60才台でした。

O先生は、オーナーの住宅の設計に携わっておられましたが、個人住宅の設計を多く手がけられていて、ある住宅雑誌では先生の設計された住宅がよく取り上げられていました。先生の設計スタンスは、使い勝手がよい、というのが基本線でした。私がはじめて出会った本物の設計者でした。

 

O先生の一言

ビルの基本プランの打ち合わせが終わって、ウィスキーを飲みながら雑談しているとき、O先生が、ふと「ものは言い方ひとつですよ」と言われたことがありました。ウィスキーは先生ご推薦の安いサントリーホワイトを常温水で割ったものです。

私は、尊敬していた先生が発せられた言葉ですので、心に響くものがありました。

それだけではなく、私はどちらかというとストレートに物を言うほうで人を戸惑わせることがありましたので、この言葉は私の心にグサリと刺すものがありました。

 

「ものは言い方ひとつですよ」の実践

それからというものは、人との交わりで困ったときに、しばしば、この言葉を想い出して、「ものは言い方ひとつ」を実践させていただいています。

私にとっては、まさに生きた言葉で、ダイヤモンドです。

幾度となく、膠着しそうになった人との関係をスムーズにいかせてくれます。

 

「ものは言い方ひとつ」とはどういうことか

「ものは言い方ひとつ」で変わる、といいますが、要は、「言葉使いを柔かくする」ことです。そうすると自然に相手を配慮することになります。膠着しそうになった相手との関係がよくなります。落ち着いた気持ちで話すことができます。

 

「ものは言い方ひとつ」で勇気をもって、相手に働きかける

人との関係で困ったとき、例えば、つい乱暴な言葉を吐いてしまったとき、それを修復するために、言葉をかけることは抵抗が大きいのですが、「ものは言い方ひとつ」だと自分に言いきかせて、勇気を持って相手に働きかけます。

そうすると、自分が思った心配はどこへいったのやら、相手との膠着状態は自然と氷解することもしばしばです。

それこそコペルニクス的展開です。自己中心から相手中心になれば、問題が解決するのです。「ものは言い方ひとつ」で相手中心となり、人間関係修復です。

考えてみますと、「ものは言い方ひとつ」は人間関係で困ったときの修復に限りません。およそ、対人関係で、中心に居座る言葉といってよいのではないか、と思っています。